暴れ日記

暴れカフェオレの日記です。

【障害者問題】「害児(がいじ)」という言葉について

こんにちは。暴れカフェオレです。

 

はじめの記事は、すごい真面目な話を書こうと思う。

近年、学生を中心に使われている「害児(がいじ)」と言う言葉についてだ。

 

そもそも「害児」とは。

端的に言うと、害児とは障害者を表す悪口だ。それを、障害者に向けてだけではなく、健常者に対しても使用している。

例えば、的外れな発言をした人に対し

「は?お前、害児だろ。」

道端で転けた人に対し

「害児だから転けるんだよ。」

と、こういった風な用い方をされる。

最近ではこの言葉が、私の通う高校や、インターネット上で日常的に使用されている。おそらく、これは私の学校に限った話じゃ無いだろう。

 

「害児」という言葉を用いて良いのか?

害児という言葉を用いることの何が悪いかと言われると、私には答えることができない。

あまりにも抽象的な表現になるが、その言葉を用いるべきなのか否かは、道徳的な問題であると思う。

果たしてその言葉がその場で用いるのに適切な言葉なのか。

障害者にとってその表現がどれほど不快なのか。

人生を成功させている人がそのような言葉を用いるのか。

他にも挙げればキリがないと思う。

少なくとも、障害を抱えた弟がいる私は、害児という言葉を用いる人と自分から関わろうとは思わないし、その言葉が耳に入る度、悲しみと苛立ちを感じている。そして用いる人を心底見下している。

少なくとも、私の弟は、「障害」が悪いことであり、悪口として用いられるものである、というような生き方はしてない。必死に生きている。おそらく、害児という言葉を用いる人よりははるかに。

だが、害児という言葉を用いることを止める理由は何もない。

私は、一人の人間として、この記事を読んで頂いた方には、ぜひ、そういった表現を用いないように心からお願いしたい。

今まで用いていた人にも、ぜひ考え直してもらいたい。

 

最後に

正直、これだけの量では、全く書き足りないという気持ちである。

皆さんに、意識して欲しいことがある。それは、「障害」は悪いことでは無い、個性だ。ということだ。

「害児」という言葉の本質。もう一度改めて考えて欲しい。

 

この記事について、感想やご意見をコメントに書いていただきたいです。

皆様からのコメントが、今後ブログを続ける上での励みになります。

また、共感をいただけたら、読者登録も是非。

 

 

※この記事では「障碍」という表記を用いず「障害」という表記を用いています。